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2011年3月

豊橋のおばちゃん

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11日の大地震の日に「奥さん」と13時間歩き無事に家に着いた。仮眠を取っていたら渥美の実家から「訃報」の知らせがきた。私も母親と思っていた奥さんの育ての母が亡くなった知らせだった。地震のパニック以上に心に激震が走った。どうしていいのか暫く途方にくれた。すぐにでも駆けつけたかったが、仕事の関係で13日の朝に豊橋に向かった。

安らかに目を閉じている優しい顔を見て、「おばちゃん、何時まで寝てるの早く起きなよ」と声をかけていた。でも起きなかった。自分の母親が亡くなった時と同じ言葉だった・・・。その夜、豊橋のホテルに一泊したが、寝つかれず、「おい起きろ、おい起きろ」と魘されていた私を奥さんが起こしてくれた。汗と動悸が激しく暫くの間、何処に居るのかわかなかった。「夢」だったのか・・・意識が無くなった「母親」に「おい、起きろ!」と声を掛け目を開け起き上がったのが「おばちゃん」だった・・・。

おばちゃんの顔を見に行くたびに、いつも私に「お腹は空かしていたらいかんよ、たくさん食べりん」と渥美弁で言ってくれた。テーブルには、手作りの料理が一杯だった。私はいつも残さず食べ、横でおばちゃんは何も言わずニコニコしてくれていた。それはもう叶わない。色々な事が頭の中を走馬灯のように駆け回った。ぐっとこらえたが一筋の涙がこぼれた。帰る時はいつも「今日は有難がとね、美香ちゃんをお願いします、お願いします。」と何回もいってくれた言葉が耳に残っている。

「優しかったおばちゃん」、食べるものが買えなかった時に沢山送ってくれた「母親代わりのおばちゃん」・・・有難うございました。これからは私たち二人で頑張っていきます。安らかにお眠り下さい。・・・合掌

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東北関東大震災

この度の地震によりまして被害を受けられました地域の皆々様に心からお見舞い申し上げます。
皆様の安全と一日も早い復興をお祈り申し上げます。

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11日当日私たちは浅草橋の業者さんで商談をしていた。最初は地震だと軽い気持ちでいたが、揺れが激しくなり、奥さんをまず机の下に、その後、棚が倒れ商品が散乱となり私はパニック状態に、暫く倒れてきた棚を押さえ身動きが出来ずにいた。業者さんは落ち着き、私たちに建物は倒れませんよと、何かと声をかけてくれた。その方は「阪神大震災」を経験された方で、迅速に焦らず通路の確保、非常口の確保、私たちの荷物まで確保していただいた。揺れが落ち着いた一時に、私たちの身の安全を心配していただき、屋外に避難誘導していただいた。本当に感謝です。命の恩人でこれから長いお付き合いをさせていただければと思います。有難うございました。

その後の情報で、交通は全てSTOPしており自宅に帰る統べは徒歩しか無く、その日はたまたま、私がスーツで革靴、奥さんは着物で草履だった。浅草橋より本町・新橋・15号線沿いに品川・大森・蒲田と焦らず休み休み帰路へ、途中大森の「ガスト」で少しでも暖を取れればと思い30分程席待ちをしていたが、座れず客席を見ると、4人席にお客が一人で、ほとんどが食事を終わり仮眠していた。非常事態なので、せめて合い席でもしていただければと思い店を出た。

難病を抱えた「奥さん」が草履で13時間歩き朝の5時30分に無事家に付いた。昼まで仮眠をしていたら、「奥さん」の実家から電話が、私は第一声「大丈夫です。」と・・・。その電話はまさかの「訃報」だった。豊橋の奥さんの「育ての母親」が亡くなった。ダブルパンチだった。13時間も歩けるはずが無い奥さんが歩けたのは「育ての母」がプレゼントしてくれた草履だった。一晩中見守ってくれて息が絶えたのだろう。「おばちゃん」有難う涙が止まらなかった。その日に豊橋までと行きたかったが、仕事が休めず夜勤明けで豊橋に向かった。

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